原作者・庄野英二さんの生いたち

 庄野英二さんは、大阪在住の作家で、童話や髄筆、小説、戯曲を書かれながら、帝塚山学院大学の教授です。庄野さんの生い立ちを、以前、クラルテが上演しました「魔神の海」の作者、前川康男さんの文章から引用紹介させてもらいましょう。

 庄野さんは、大正四年(一九一五)十一月二十日、山
口県の萩市で生まれました。お父上は、徳島出身の教育家で、大阪の住吉、帝塚山につくられた帝塚山学院の初代の院長でした。庄野さんはその学院の幼稚園、小学部に通われました。庄野さんは、次男。お兄さんは昭和二十三年に亡くなられ、弟さんの潤三さんは、すぐれた作品をたくさん書いておられる小説家です。作風はちがいますが、一つの家族から二人も立派な作家が生まれたということは全くすばらしいことです。庄野さんが文学を志したのは、十八才、関西学院の文学部哲学科に入って間もなくのことでした。その頃、坪田譲治の小説「お化けの世界」という作品に感激して、小説を書き、当時の雑誌に発表されたりしたそうです。

 庄野さんは、十三才、のとき、普通の中学へ行かず、お父上のすすめもあって、大阪府立の農業校へ入学しました。農家の息子でない少年が農学校へ入ったのですから、つらいこともあったでしょうが、農学校での数年間は、作家、庄野英二にとって大きなプラスであったにちがいありません。庄野さんは昭和十二年(一九三七)から実に十年間も戦場へ行っておられました。
 
 戦争の悲痛さは、代表作「星の牧場」(野間児童文芸賞他受賞)という長編童話にも「ロッテルダムの灯」という随筆集にも見事に描かれています。農学校のことは、自伝作の長編「ぶたと真珠」にも書かれています。庄野さんという作家は、少年時代から人生の峻厳さに顔をそむけず、真正面からしつかり自分の道を切り拓いていった人ではないかと思われます。