ドイツのゲーテ上演
市 川   明(近畿大学講師)
 この春一年ぶりでドイツを訪れて、たくさんの芝居をみた。今年はゲーテの死後150年にあたるので、ゲーテ作品の上演も多い。

 さて最近のゲーテ上演の中で大きな話題を呼んだものといえば東独、シュヴュリーンでの『ファウスト』上演であろう。クリストフ・シュロートの現代的演出はこの小さな都市を演劇愛好家の巡礼の地にしてしまった。この上演では『ファウスト?部、?部』が六時間で一挙上演される。メフィストは女性が演じ、ファウストは四人の男優が交代で演じる。若々しい生命のけん引力によって熟年の学者ファウストが陰うつな書斎からでて、自然と愛の喜びに触れるようになると、若い男優がファウストをかわって演じるといった具合である。「みんなお金が目あて/お金次第。/貧乏人はつまらないわ。」と嘆くマルガレーテが愛の花占いをする庭園の場面は、ゴミ箱が置かれた、物干し場のある裏庭にかわっている。ここでマルガレーテは洗濯バサミをバケツに入れながら「愛してる、愛してない……」とやって、最後に白いシーツごしにファウストとキスをするのである。

 ライプツィヒでカール・カイザー演出の『ファウスト?部』
をみた。3月27日が世界演劇デーということもあって、上演前にマルガレーテを演じるヴェンツェルさん(彼女はまだ演劇大学の学生である)が幕前であいさつをした。「芸術ほど世界から人間を遠ざけるものはないし、芸術ほど世界と人間を固く結びあわせるものはない。」「幸せの絶頂にある時、もっとも困窮した時、その時にこそわれわれは芸術家を必要とする。」というゲーテのことばを引用しながら、平和と社会進歩のために芸術を役だたせることの心要性を彼女が説いていたのが印象的だった。

 壁を越えて西ベルリンの自由民衆舞台でみた『ファウスト?部』は全く違っていた。3月22日初演のグリューバー演出のこの上演では登場人物はファウスト、メフィスト、マルガレーテ、ワーグナーの四人である。舞台の前曲、天上の前曲、アウエルバッハの酒場、ワルプルギスの夜などの場面はすべてカットされ、ワーグナーはほとんどことばをしゃべらず、マルテおばさんは登場してこない。グレートヘンの物語はかろうじてそのあとをとどめているにすぎない。ほとんど光のない暗い舞台で一人の俳優が「献げることば」を朗読したあと、ファウストが影をひきずるように登場してくる。名優ベルンハルト・ミネッティのモノローグドラマのように思えた。

 東独ロストックでみた『クラヴィーゴ』。劇場はたくさんのティーンエイジヤーで埋まり、にぎやかだった。演出家はこの劇を決して単純な恋愛悲劇として描いてはいない。自分の立身出世のためにマリーを裏切らざるをえないクラヴィーゴの苦悩、越えがたい貴族と平民の間の壁などが伝わってきて、良かった。