説教と道徳
栗津 牧夫 |
「説教」と開けば、すぐさま逃げ出す子供達が多い。先生の長い説教は、退屈な授業ょりも面白くないのである。学校の規則を守らなかったり、掃除をサボったりすると、必ず叱られるのが「説教」なのである。 人としてどう生きていくか。社会生活を、集団生活をいかにうまくやっていくか。そんなことをくどくどと教えられる「道徳」。この一時間は地獄であり、先生たちにとっても苦手である。だから、席換えや、委員選挙の時間となってしまう。本当に人の生きる道を教えられるのか。とても難しい問題である。しかし、「道徳」の時間はしっかりとあるのである。この「説教」の表現、話し方を変えると、とても楽しい面白いものになるのである。それを証明したのが、このお芝居である。古くは約千年以上も前から仏教伝来のための節談説教(ふしだん〜)が生まれ、やがて説経浄瑠璃−祭文−浪花節(浪曲)と変遷していくのである。が残念なことに、これらの芸能(?)は姿を消しつつある。昔の人々の仏教への信仰心は厚く、現世の不幸からのがれるため、来世(死後の世界)の幸せを願いつつ、各地の寺々や辻々での説経節を聞き、大いにそのご利益を信じありがたく思ったことだろう。初めは単なる仏の教えの語りがやがて節をつけ、芸能としてのスタイルをもち、聴衆(信者)に理解されるための工夫がなされてきたにちがいない。今日の先生や親たちの小言めいた文句だけとは違うのである。「面白くて為になる」説経浄瑠璃は、ますます磨きがかかり、「始めシンミリ、中オカシク、終り尊く」という技術の上に、さらに説教をする僧侶(演者)に必要なタレント性として「一・声、二・節、三・男」といわれ、声が良く、節まわしが巧みで、男ぶりが良いことをもって上手な説教者といわれたのである。平安時代の清少納言が「枕草子」(二十九段)で「説経師は顔よき。講師の顔をつと守らへたるこそ、その説く事の尊さも覚ゆれ。」といっている。また、説経に不可欠なものとして「絵解き」がある。大和当麻寺の中将姫伝説による「まんだら絵解き」、劇団クラルテで上演された、藤沢遊行寺の「小栗判官照手姫」など数え切れないほどある。「絵解き」は、今のテレビやスライドの役割をはたす視聴覚教材とも思われる。こうした説教が、当時中世から、昭和初期に至るまで、脈々と語り伝えられてきたそのもとには、仏教への信仰が根強くあったからであろう。人々はいつの世でも、人の生きる道をこのようにして教えられ、また教えられることによつて生きる喜びの糧としたことだろう。今、家庭にあって、学校にあって、人が生きていく道を「面白く為になる」ものとして教えているだろうか。この劇であいごの若がなぜ死ななければな (演劇研究家) |