近松作 「関八州繋馬」の舞台面
信 多 純一 (大阪大学文学部教授) |
七十二歳の近松が病躯をおして作劇した『関八州繋馬』は、藤井乙男氏によって、「結構雄大波瀾層生、変化に富み而も統一あり」と評された。この雄篇が如何に演じられたか、当時の舞台面を振り返ってみよう。そこには観客の目を惹きつけて止まない興味ある場面が繰りひろげられていたに違いない。 ☆ ☆ ☆ 初段、宮中に猛り狂ぅ龍馬が出現する。頼光が鏑矢取って射放つと真向に当り苦しみ倒れる。と、馬は消え影も形もない。辰巳の方の蔵の唐櫃に矢は深々と立ち、紫馬の紋を染抜いた平将門の旗があった。ここに、将門の与類による兇事が予感出来、頼光と四天王側によるその誅伐という展開が、この荒々しい変化騒動に象徴される。段末、渡辺綱と坂田公時が、謀反の頭梁将軍太郎良門の幕下藤原保輔を屋根に乗せたまま、二人で門を引抜き粉微塵にしてしまう荒事芸のうちに初段は終る。 ☆ ☆ ☆ 第二段、頼信御殿の離れ庭。鴨川の水を筧に取り年水鉢に引く、その延々と続く竹筒に河原に居る良門はきき耳を立て、邸内では妹の小蝶が侍女に入り込み、筒口に口をあて様子を知らせるという、興ある通信の趣向が舞台上に見られた。この装置、名づけてささやき竹という。これを見咎められ殺された小蝶の一念こって、飛ばされた首が近寄り死骸と重なると死体は生けるがごとく立ち上り、兄を逃がす怪奇の場がある。続く詠歌の前と頼平の道行は、山道に雪が降りしきる雪景色の中で行われ、さらに雪中にて頼平の良門一味加担、頼信一行と良門達の戦斗、頼平捕われ雪に恥を雪ぐ底意を見せる場面と、雪景の大道具を効果的に用いた場が続く。 ☆ ☆ ☆ 第四段、多田御所。頼信北の方の病を慰めるため四天王の妻達が、築山の木の枝に華やかな小袖を掛け並べる景事があり、続いて築山に京東山大文字焼をまねて真の火をつけ灯す大がらくりを演じる。手摺の奥を開くと一面の山に大文字の道具建が見える仕掛けで、大評判を博した。この大の字の焼ける不吉さが取沙汰され、果して、三月大火を発して大阪中を焼き尽したのであるが、それだけここは評判の高い見せ場であった。さらに、この聖霊火に小蝶の回向を捧げると、巨大な土蜘蛛と現じ、嫉妬の火焔を吐きながら北の方に襲いかかる。源氏重代の名剣膝丸が鞘を抜け出し、化生を刺し、追い廻す大がらくりの中にこの段は終る。 ☆ ☆ ☆ 五段目、葛城山良門征伐の場でも、土蜘蛛が又も現われ、糸を吐き火焔を放ち討手を苦しめる大がらくりがある。蜘蛛の子袋が破れて無数の子蜘蛛が這い出し金時を悩ませるが、やがて膝丸(蜘蛛切丸)に切り払われ退治される。 ☆ ☆ ☆ このように見てくると、各段変化に富んだ壮大な結構であることが判るが、三段目のみ大きい見せ場を欠くことを知る。しかし、ここには渡辺綱伯母の命乞いと意見事、頼平の告白、詠歌姫の身代り、頼平の恩義に報いる箕田次郎の死と、錯綜した筋を愁いの中に収束してゆく見事な展開、内面的展開があり、観客を惹きつけて離さない。 善悪二つを情義でからめ、ふくそうした筋を数々の名場面が包みこむ。とりわけ小蝶の情炎が輝く、後年『蜘蛛糸梓弦(あずさのゆみはり)』のような評判作を生む力をひめて。彼女の情熱にも似た、いなそれ以上の情念をこめて近松は作劇した。この絶筆が兆しと評判された享保大火避難先の仮のやどりで、全作品にその生を燃焼しきつて、近松は逝った。 |