名作『心中天網島』

桐竹勘十郎(人形浄瑠璃文楽座 三世)

 劇団創立五十六年目を迎えたクラルテの秋の公演が、『心中天網島』と聞いてとても楽しみにしている。これまでも、海外の古典の名作と共に日本の古典作品、とりわけ《近松作品》に力を入れてこられた事は、多くの人の知るところである。また、各公演の高い評価を聞くにつけ、同じ人形芝居の世界に生きるものとして我が事のように嬉しく思うと同時に、「コリャ、うかうか出来んぞ…」と、気を引き締めることが多い。

 一七二〇年に近松が書いたこの作品は、言うまでもなく世話物浄瑠璃の名作のひとつで、これまで文楽では数々の名人によって語り演じられてきた。上演年表に載っているだけで、初演から四六六回の上演記録があるほどの人気狂言である。私たちはよく芸題を略して言う事があり、『心中天網島』なら《紙治》。これは主人公の名前、紙屋治兵衛を縮めたものだが、「今度紙治が出るそうやなあ…」と聞いて、「ああ、炬燵や」と言われたら、近松半二の改作『天網島時雨炬燵』の事。

 原作も増補改作の紙屋内も、それぞれに面白さがあり好きだが、若いころに遣う役柄、たとえば娘のお末や丁稚の三五郎などは、改作の方が出番や動きが多く、やっていて楽しい。主役である治兵衛・女房のおさん・紀の国屋小春、いずれも一度は遣ってみたい役だが、芝居には主役に劣らぬ重要な脇役があり、これも魅力である。この天網島では、治兵衛の兄の孫右衛門や舅の五左衛門などが難しい役どころ。私はこの孫右衛門を先年代役でやらせて頂いた事があるのだが、その公演で自分の未熟さを嫌と言うほど味わった。特に河庄の段、弟治兵衛への意見、小春への感謝や心遣い…、どれもこれも、人形を遣う技術的な事ではなく、兄孫右衛門としての気構えが自分の中に足りず、その人物が描けなかったのである。

 人形を遣うには、人形を思いどおりに動かせる技術力と同時に、役々の性根を的確に捉えた役作りが出来る《役者》としての力が必要不可欠。どちらの力が弱くても、充分に人形は遣えない。孫右衛門の代役で私は改めてこの事を思い知った。今から十年ほど以前に、師匠(三世吉田簑助)と共に網島、大長寺跡などを歩いた事がある。NHKのある番組の収録であったが、小春と治兵衛の人形が夜の川風に吹かれて歩むシーンを今も思い出す。

 三百年近い時が流れ、風景も人々の暮らしも大きく様変わりしてしまっている現代の大阪。その中で、当時の出来事や、町家の人達の暮らし方、生き方を、観ている人の心の中に届けられるのが芝居である。また、芝居はタイムマシンでもある。舞台と客席が同化した時、そのスイッチが入り、観客は当時の空気を思う存分に吸えるのだ。クラルテの皆様の日頃の研鑽に拍手を贈ると共に、実り多い公演となるよう祈りたい。