「トリスタンとイゾルデ」と云えば、先ず今日の我が国で思い出されるのはワーグナーの楽劇であろう。だが、今回人形劇団クラルテで上演されるこの作品は、中世ケルトの伝説によるものであって、ワーグナーの楽劇は、トリスタンが伯父のマルケ王の妃にとアイルランドの王女イゾルデをコーンウォール(イングランド南西部)へ連れて帰る航海の船上の場面から始まるのだが、今回のクラルテ版では、この場面は、第一幕第五場であり、ワーグナー版の前史に当るモルオルト(モロルト)とトリスタンとの一騎打ちから始まる。
ワーグナーが典拠としたのは、中世ドイツの詩人ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク(1200年頃生れ)の叙事詩「トリスタンとイゾルデ」で、この物語ではトリスタンの出生と生いたちから始っていて、かれは誕生と同時に父母を亡くしているのでトリスタンの名はフランス語で「悲しみ」を意味する「トリステ」に由来することなども述べられている。この叙事詩で一騎打ちは、第十章である。
ところでこのゴットフリートは、その序章で、さらに自分の物語がブリタニュのトマによることを明言している。トマは、1170年頃「トリスタン物語」を書いた北フランスの詩人とされているが、ブリタニュというのが北仏のブルターニュの意味にも、英国のブリテンの意味にも用いられていて特定出来ない。ちなみに、シュトラースブルクもラインに沿った独仏国境の町で今はフランスに属しシュトラースプールと呼ばれるが、町の人々は現在でもバイリンガルである。もともと中世ョーロッパには近代的な意味での国家意識はなかった。
トリスタン伝説もだから汎ヨーロッパ的なもので、この説話と文学的形成はさらにもっと古くさかのぼることになる。この名は、遠く八世紀末にスコットランド北部を支配していたヒクト人(ケルトの一種類)の王子ドゥルストに由来し、これはウェールズではドリスタン、又はトリスタンになるのである。十二世紀になってからのこの物語のモチーフや素材は既にさまざまなものから成り立っている。
〔1〕歴史的事件を中心としたケルト伝説。例えば、コーンウォールの王マルクは歴史上実在の名である。(2)国際的説話文学、童話、笑話、聖徒物語からのモチーフ。例えば、金髪を運ぶ燕は他にもいろいろ出て来る典型的なものである。(3)古代古典の影響。例えば、トロヤの王子パリスと医術に通じていた、妻オイノーネの伝説。パリスはへレナのために妻を捨てるが、かの女は毒矢に傷ついた夫を助けようとする。だが時既に遅く、オイノーネは亡き愛人の前で自害する。
又、古い説話から今日に伝わっている文学作品になるまでにも三つの段階が考えられている。第一段階、ケルト伝説。第二、古い叙事詩。そして第三に、続編の加えられた比較的新しい段階である。
(1)この段階では一騎打ちと、毒槍、その傷を癒す仙女の話と、王妃イゾルデとトリスタンの道ならぬ恋とその逃避行、悲惨な最後の話という、古代ケルトで最も好まれた、もともと別々の二つの話を組み合わせたもので、愛の欲望にかられた女性と、武人としての名誉を守ろうとする勇士との葛藤であり、宮廷的騎士時代の恋愛賛美とは雲泥の相違があると云われている。
(2)これをもとにして、例えば媚薬とか、剣の破片、又、民族童話や笑話などで広く知られていた燕と金髪の乙女の話とか、竜との斗いなどさまざまなモチーフを用いて統一的な一つの物語が成立するのである。
(3)これには第二のイゾルデ、即ち「白いイゾルデ」が出現する続編がつけ加えられる。(今回のクラルテ版では割愛されているが、最終場面はこの段階のものに基いている。)この作者が誰かはわからないがアーサー王物語や、宮廷詩人の女性賛美やミンネの歌を楽しむ教養人には違いなく、最初のものとは違って「愛こそこの世の最高のもの」としてあがめられているのである。
「トリスタンとイゾルデ」は、「ロメオとジュリエット」と並ぶ永遠の愛と死の物語であり、悲しい結末だが、美しい。
クラルテの舞台が楽しみである。
−本稿は、筆者が初めてドイツ語を教わった恩師石川敬三先生の「トリスタンとイゾルデ」(郁文堂)に基く。厚く感謝の意を表わし、是非御一読をおすすめしたい。