ウソを楽しむ

尾崎 寔(同志社女子大学)

 シェイクスピアはウソつきです。作品には途方もないウソがいっぱい。自分の娘が変装して目の前に現れると父親にはもう見分けがつかない。ンな、アホな、恋人でも同じです。結婚の約束までした相手が変装して登場すると、苦もなくだまされてしまいます。この『十二夜』にしからが沿うでしょう。乗っていた船が難破してイギリスの国に流れついたヴァイオラは、この国の大公オーシーノーに目をつける。彼女が「オーシ!」と言ったかどうか、とにかく、大公に近づこうということになる。小姓として傍においてもうらうために男に扮するわけですが、男装したヴァイオラは、肝心の大公よりも、彼が思いを寄せているオリヴィア姫からぞっこん惚れられてしまうというべらぼうな展開。筋書きはこのくらいにしておきますが、要するに、「アホな」という話の連続です。それがどうしてこうも長い間、世界中で観客を喜ばせつづけているのか。いつの頃からか、夏のロンドンでこの芝居と『夏の夜の夢』だけは間違いなく見ることができます。
 話が飛躍するようですが、96歳で亡くなった私の祖母は晩年プロレスの大ファンでした。テレビの前にかじりつき、ひいきの選手が登場しようものなら、大変な勢いで応援、憎まれ役の選手は災難です。親の仇でも見るような感じでののしられる。そんな彼女に、これはゲームであって、大怪我しているように見えても、全部お膳立てが出来ているんだから、と若い者が口を出そうものなら、さあ大変、「あんた、こんなもん、なんで芝居でできますかいな、ホンケンに決まってます。血ィ出てますやないの、かわいそうに。」ホンケンというのは本気の喧嘩ということですが、彼女にとっては、真剣そのものの世界なのでした。
 シェイクスピアにもどりましょう。現代の観客は彼の有名な作品なら、少なくともあらすじぐらいは知っています。ロミオとジュリエットが結局はアホらしいほどのすれ違いの末、死を迎えることを知っているのですが、それでも、十代の美しい 人の恋に一喜一憂し、せりふの響きに酔いしれます。
おばあちゃんのプロレスとどこが違うのでしょうか。そう、私たちはいくら見え透いていても「お芝居」を楽しむことができます。分かりきった筋書きでもはじめて観るように胸を躍らせます。ウソを受け入れて楽しむ、それが文化であり、心の若さではないでしょうか。どうかみなさんも、私の尊敬する人形劇団「クラルテ」の『十二夜』を存分に楽しまれますように。