子どもたちは音楽が大好きですね。彼らはいい音にとても敏感です。人の聴覚は幼児の時期がもっとも高性能だそうです。赤ちゃんをみても、目が十分に機能する以前、外からの危険を感知するとても大切な器官は耳です。全身を耳にして外界の音に耳を澄ましていると言えます。ちなみに成長につれて聞こえなくなる音のレジスターが広がっていきます。
一方、子どもたちの音環境はいいとはいえません。音楽を聴くための機器類は豊富にありますが、そのために本当に聴いて欲しい音が聞こえなくなってきているようです。これは大いに私たち大人の責任です。最近、自然の音に耳を澄ませることがありますか?子どもたちに心から語りかけていますか?思いが込められた言葉は、歌の誕生のすぐ前の状態です。
音楽は(あらゆるものについて言えるでしょう)関係でなり立っています。人と人、自然との関係、時間の流れのなかで柔軟に姿を変えていきます。なにしろそれは生きたものだから。子どもたちにはそんな生きた音楽をいっぱい体験して欲しいと思っています。
「セロ弾きのゴーシュ」を生の音楽で上演するのは、この作品にとって音楽が格別重要な要素を占めているということもありますが、力のある音楽を、その瞬間その空間でしか生まれえない音楽を、人形劇とともにこどもたちに体験して欲しいと願ったからです。
今日、演奏するのはオーケストラですか、四人編成のアンサンブルですか?
できたら両方聴いて欲しいのですが・・・、それぞれ、その編成でなくては生まれない魅力を持っています。
自らもオルガンやチェロを弾いた宮沢賢治は農民によるオーケストラをつくりたかったようですね。賢治は「セロ弾きのゴーシュ」を書き進めながらどんな音を聴いたのでしょう。賢治の耳の奥には、音楽を専門とするひとより、もっと豊かな音の世界が展開していたかもしれませんね。おそらく、子どもたちもそんな耳をもっているんです。
音、音楽は文字では伝えきれません。全身で音楽、そして舞台の人形たちのドラマを楽しんでください。
今日、こどもたちが心に残る音と出会えることを願って・・・。
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