「三文オペラ」人形劇団クラルテ公演に際して
市川 明 |
黄金の二十年代、ベルリンは世界演劇の首都だった。マックス・ラインハルトとレオポルド・イェスナー、二人の巨匠がシェイクスピアなど世界の名作を意欲的な演出で手がけ、華やかな競演を繰り広げていた。カールハインツ・マルテンをはじめ若手の演出家も綺羅星のように台頭し、ベルリンの演劇は「モダニズムのゆりかご」ともいうべき様相を呈していた。『夜打つ太鼓』を書き、ミュンヘンで初演して名を上げた青年ブレヒトは、クライスト賞というご褒美を引っさげてベルリンに乗り込んできた。 ベルリンの「フリードリヒ通り」駅の北側をシュプレー川が流れている。この川にかかるヴァイデンダム橋を渡ったところにシフバウアーダム劇場(現在のベルリーナー・アンサンブル)がある。観客も入らず、ほとんど「死の家」と化していたこの劇場を活性化させる大任を俳優アウフリヒトが負うことになった。彼が「こけら落とし」として選んだのがブレヒトの『三文オペラ』だった。一九二八年八月三一日、初演の日が来た。作ベルトルト・ブレヒト、音楽クルト・ヴァイル、装置をカスパル・ネーアーが担当し、演出はエーリヒ・エンゲルが行った。 だが誰がこの日の成功を予想しただろうか。一番びっくりしたのは演じた本人たちだったろう。上演まではとにかくごたごた続きだった。ポリー役を演じることになっていたカローラ・ネーアーは臨終の床にある夫クラブントのところに向かい、急遽代役を立てなければならなかったし、ヘレーネ・ヴァイゲルが盲腸で入院したため、彼女の役を削除することになったからだ。しかも有名なカバレット歌手ローザ・ファレッティが歌のテキストの卑猥な言葉に感情を害し、役を降りてしまった。プログラムには娼婦ジェニーを演じたロッテ・レーニャの名前が抜け落ちており、夫クルト・ヴァイルが激怒するというハプニングもあった。 とにかく初日の幕が開いた。大道歌手を演じるクルト・ゲロンがモリタート「マック・ザ・ナイフ」を歌い始めたとき、もう大成功は約束されたも同然だった。インドでの戦友、盗賊の首領メッキー・メサーと警視総監タイガー・ブラウンが一緒に歌う「大砲の歌」に観客は大いに沸いた。上演はモーツアルトの初期の軽歌劇を見るようでもあり、ウイーンの民衆喜劇やカバレット(寄席)の滑稽さや風刺の風味も備えていた。劇評の大御所イェーリングは「ユーモアと悲劇性が止揚された舞台」と絶賛した。 一夜のうちにロッテ・レーニャは有名になった。他の俳優や、もちろんブレヒトやヴァイルともども。こうして黄金の二十年代、『三文オペラ』はベルリンに輝く金字塔を打ち立てた。ベルリンの成功は、ミュンヘン、ライプツィヒ、プラハへと広がっていった。 『三文オペラ』は全編が聖書のパロディーで貫かれている。乞食会社社長のピーチャムは失業者に乞食をさせ、その上がりをピンはねして生活している。人の同情を誘うような目新しいフレーズと、ふさわしい衣装を与えることが彼の仕事だ。「与えよ、さらば与えられん」も彼が考え出した言葉だが、これはもちろん聖書の「求めよ、さらば与えられん」のもじりである。求めれば与えられる聖書の世界に対し、ブレヒトは現実の厳しさを皮肉っている。 キリスト教の根本思想は隣人愛であり、「敵をも愛せ」という絶対的な愛である。だがブルジョア社会では、弱い者を「裸にし襲い、締め上げ、食らう」ことでしか、「ただ悪行によってしか」生きていけないことが示される。聖書で説かれる道徳は、食うもののない人間にとっては何の役にも立たない。「まず食うこと、それから道徳」というわけだ。そしてこうした道徳が通用しない世の中=資本主義社会が何よりも批判にさらされるのだ。 盗賊の首領メッキーはキリストになぞらえられている。メッキーは木曜日に捕まり、金曜日に処刑される。ちょうどキリストが木曜に捕らわれ、安息日の金曜に処刑されたように。キリストは弟子のユダに銀貨三十枚で売られるが、メッキーの密告も娼婦ジェニーが四十ポンドの報奨金と引き換えに行う。逃走中に女のところへは行かないで、とポリーに忠告されたのに、肉欲に負けてメッキーはジェニーのところに行ってしまうからだ。メッキーがピーチャムの娘ポリーとソホーの馬小屋で行う結婚式も、キリスト生誕の逸話と重ねてしまう。 警視総監ブラウンの親友であるメッキーは、手入れのある日は前もって教えてもらえたので、いつも逃げおおせてきた。だが今回は娘を誘惑され、メッキーへの怒りに燃えるピーチャムの脅しにブラウンも屈せざるをえない。メッキーを逮捕しなければ、女王の戴冠式のパレードにロンドン中の乞食を集めてデモを仕掛けるというのだ。こうしてメッキーは絞首台に上るが、キリストと違って処刑されなかった。キリストのように殉教者として崇められ、民衆のヒーローになると困るからだ。馬上の使者が突然現れ、恩赦を与える。それどころかメッキーは貴族の称号と終身年金まで手にする。これによって彼は英雄の地位から引きずりおろされるのである。 今回は人形劇団クラルテが『三文オペラ』に挑む。人形劇はそもそも喜劇やパロディに向いているように思える。人形そのものが放つ、不思議な表情や身振りは、ブレヒトが説く「異化された世界」を作り出してくれるだろう。クルト・ヴァイルの音楽で、人形(人間)がからむ「ひものバラード」や「嫉妬のデュエット」はどのように表現されるのだろうか・・・今から楽しみは尽きない。 |
市川 明(いちかわ あきら) 大阪外国語大学教授。ドイツ演劇。国際評論家協会日本センター関西支部長。演劇創造集団「ブレヒト・ケラー」代表幹事
NHKのドイツ語講座を長らく担当したほか、ドイツ演劇を多く翻訳し、関西で上演し続けている。 |