「三文オペラ」人形劇団クラルテ公演に際して
ペトラ・マトゥシェ(大阪ドイツ文化センター館長) |
今から75年前、若き新進作家だったベルトルト・ブレヒトと、まだ無名に近かった作曲家クルト・ワイルは天才的な傑作演劇作品を作り上げました。一人の若い舞台監督が、「愉快なオペレッタでありながら、社会批判的な視点を持った作品」を書いて欲しいと依頼してきたことがことの起こりでした。その結果生まれた作品は、犯罪劇、喜劇、風刺劇、寄席芸などの要素を併せ持つ音楽劇でした。作品では、「メッキー・メサー」の異名を持つギャングのマックヒースの生きるための戦い、敗北、そして救難が描かれます。この作品「三文オペラ」は、再開を祝うベルリンのシッフバウアーダム劇場で1928年8月31日に初演となり、大成功を納めました。同劇場は以来、今や有名なベルリーナー・アンサンブルの本拠地となっています。 リハーサルは、ムードは最悪、ヒステリックに騒ぐ者や大小様々なトラブルが続出という有様でした。俳優たちの虚栄心、諍い、病気などのために何度も配役の入れ替えを余儀なくされました。また音楽や舞台装置を巡っても、延々と議論が続きました。ゲネプロは、いつ果てるとも知れない混沌とした状態で一晩中続き、明け方にやっと終了しました。しかしその初日公演はまさに演劇史に残る歴史的瞬間となりました。傍若無人で攻撃的な、そして時に感傷的な劇中ソングはすぐに大人気となり、観客はアンコールを要求し、観劇から帰宅する間もソングのメロディーを口ずさんだり、口笛で奏でたりと言う状態でした。中でも「歯のある鮫のような・・・」ではじまる「メッキー・メサーのモリタート」や「海賊ジェニー」、「大砲の歌」、「快適な生活のバラード」、「人間の努力の至らなさの歌」などはすっかりスタンダード・ナンバーになりました。この音楽劇はジャズの要素や軽音楽、教会音楽やオペラの旋律などをミックスした、まさにミュージカルの先駆者的な作品で、今日ドイツ語で演じられるものとしては最も上演回数の多い作品のひとつでもあります。過去5年間だけでも実に約1500回も上演されています。 ブレヒトは長年の協力者であるエリザベト・ハウプトマンの勧めで、英国のジョン・ゲイが1728年に書いた「乞食オペラ」を基に、この作品を書き上げました。しかし彼は基になったゲイの作品よりも、ギャングがたむろする界隈の堕落や汚職の世界を強調し、当時のブルジョワ資本主義世界に対する鋭い社会批判の視線を盛り込みました。つまり市民が盗人で、盗人は市民だという皮肉です。文学史から見ると「三文オペラ」は叙事的演劇理論に基づく初めての作品であります。この理論では、観客が作中の人物に感情移入することではなく、むしろ観客が作中人物に対し異化的な距離をもって、幻想を排して眺めることを目指しています。そうすることで今まさに起きている諸問題と向き合い、社会状況を批判的に検証する姿勢を喚起することを狙っているのです。 この乞食やギャング、娼婦や堕落した警官がうごめくアウトローの世界を描いた「三文オペラ」は、全世界で熱狂的に迎えられました。初演後すぐにモスクワ、パリ、ワルシャワ、プラハなどでも舞台にかけられ、その後は米国や南米へ、そしてアジアではインドから日本にいたる各国で上演されました。この成功はまだまだ続きます。そしてその延長線上に、今回の人形劇団クラルテによる同作品の翻案上演があるのです。 クラルテは、大いなる演劇の喜びと開拓者精神を発揮し、幾度と無く演劇に新たな地平を拓いてきました。そして長年にわたり、日本の伝統世界や現代から題材を得、また海外の世界的名作などにも意欲的に取り組み、いずれもその独特のアプローチでクラルテならではの作品として、生き生きと舞台の上に描いてきました。今年クラルテは創立55周年を迎えます。大阪ドイツ文化センターは演劇を愛するすべての人々と共に、深い感謝の念を持ってお祝いを申し上げ、今後も上演の成功とご多幸をお祈り申し上げます。同劇団にこれからも幾たびも演劇の奇跡 │観客を魅了してやまないあの魔力的な瞬間│ が訪れますように。 |