有名作品に怖じることなく立ち向かう
演劇評論家 神澤 和明
人形劇団クラルテ『三文オペラ』
ベルトルト・ブレヒト/作 東口次登/訳
井田邦明 演出
人形の動かない表情は、変化の激しい社会の上辺を透き通して、実体を批判的に眺めているようにも見える。そしてその顔に「異質」を感じる。ブレヒト劇の「異化作用」と人形芝居は通じるものがあるかもしれない。人形劇で「三文オペラ」を演じるという思い切った挑戦を、クラルテは行なった。イタリアで活躍する演出家を招聘しての上演である。粗筋を書くには及ぶまい。 展開されるのは紳士叔女の飾りをはぎとって、人間の欲望の愚かさや身勝手さ、金のある者はさらに豊かに、無い者はさらに惨めになってゆく社会制度の矛盾を、はっきり示してゆこうと意図した舞台である。独特のデフォルメがなされた人形たちは、意地の悪い顔つきや巨大なバストを突き出して、性的で猥雑な気分に満ちた悪党たちの馬鹿騒ぎを繰り広げて行く。最も貧しい階層の乞食から搾取を行う乞食会社社長・ピーチャム(三木孝信)のしたたかさ、盗賊マクフィスと馴れ合う警視総監・ブラウン(松原康弘)の身勝手な自己保身ぶりなどが滑稽に示され、経済や政治の「いかさま性」が笑われる。特に終盤で、「汚いもの」を隠してすませている上層階級のおごりに、乞食の行列という手段で民衆が抗議しようとする場面では、階級対立の構図が明確に示される。ここで人形遣いが姿を見せて、まさに「異化作用」による表現になった。穴の底に吸い込まれるような牢獄、下品で陽気な娼婦の館、また一方で天を衝く摩天楼の俯瞰を描くシュールな美術は、現実の裏側にある世界を示すように見えた。だが舞台が全体に騒がしいためか、主要な人間関係が埋没してしまった。マクフィス(西島加寿子)に魅力がなく目立たない。演技者のせいというより、演出の結果だろう。ナイフ使いの殺し屋でありながら、お行儀良い銀行経営を企て、しなやかに社会の裏を生きるマクフィスを軸にして、芝居が展開するはずなのだが。彼を巡るポリーやルーシーの位置づけもすっきりしないし、マクフィスの逮捕や牢獄からの脱出といった、騒がしい場面の繰り返しの印象が、共通してしまう。マクフィスに関しては、人間の役者が細やかに仕分ける方が生きるのだろうか。対して、ジェニー(西村和子)を始めとする娼婦たちは溌刺と存在感を示していた。「オペラ」の大きな要素であるソングに関しては、生バンドの演奏に負けず、演技者たちはそれなりに歌えていた。生身の人間のまま登場する、白塗りの大道歌芸人・プレヒト(山田暁美)が歌う「モリタート」に始まって、次々と馴染みのある曲が流れ、耳を楽しませてくれる。反面、多くのセリフが不明瞭で聞き取りづらかった。イタリア式の横に広げて響かす歌唱発声を習ったのだろうか。歌は伸ばす音が多いのでそれで良いが、口の奥の開きを広いままでしやべると、母音がつながって発音不明瞭になる。歌とセリフで発声を切り替えるか、歌でも発音が明瞭になる、縦に開いて響かすドイツ式発声を採れば良かったろう。もっとも、わざと過剰に使われる性的・暴力的で不愉快な言葉があまり際だたなかったのは、私にとってはありがたかった。(10月2日夜 国立文楽劇場)
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