銀河鉄道の夜

ジョバンニは生活のため、毎日学校が終わると、活版所で活字を拾う仕事をしていた。出稼ぎに行っている父親のことで学校の友達からはからかわれていたが、親友のカンパネルラだけは違っていた。
ケンタウルス祭の夜、ジョバンニは病気の母親のために牛乳をもらいにでかけると、またいつものように他の子どもたちにからかわれる。その中にカンパネルラを見つけると、ジョバンニは彼の眼を避けるようにその場を去り、露の降りかかる林の小道をどんどん登っていった。
がらんと空がひらけた真っ暗な丘に体を投げ出して星空を見上げると、にわかに大きな汽車の音。そしてまぶしい光とともに不思議な声が響く。「銀河ステーション、銀河ステーション」

原作 宮沢賢治
企画 高平和子
脚色・演出 東口次登
美術 永島梨枝子
音楽 一ノ瀬季生
照明 永山康英
舞台監督 松原康弘
制作 古賀恵子

脚色・演出のことば

人形こそが「生と死」を演じる 東口次登

 「銀河鉄道の夜」の車窓から見える風景は、今までに書かれた賢治童話のそれぞれの1シーンがメビウスの輪のように繋がった映画のフィルムのようにも見える。それはきっと、賢治の作品は「生と死」がテーマであり、銀河鉄道はその「生と死」の境界を走り続ける永遠の汽車の旅だから、全作品とシンクロしているのだろう。そのうえ賢治の言葉は理屈っぽくなく、心象風景が映像となって浮かんでくるような想像の世界になっている。この想像世界をドラマとして表現できるのが人形芝居の最も得意とするところだと思う(ここで言う想像とは映像的意味合いではなく、心象風景として)。
人形はそのままではただの死体に過ぎない。人形遣いが魂を込めることによって生命を持つ。つまり人形芝居は死から始まるドラマなのです。「生と死」を描くために生まれたといってもいいでしょう。今回は特に皮膚感覚のない和紙で人形を作りました。それは肉体から遊離した世界、ココロと感覚の世界を描こうと考えたからです。きっと賢治の心象風景を表現してくれるでしょう。
主人公ジョバンニの友だちカンパネルラはザネリを助けようとして、川に落ちて死にます。ジョバンニがカンパネルラの死を知るのは最後です。観客は前半で知ります。つまり観客は「生と死」の境界をずーっと観る仕掛けになっています。私たちは老人や年配者が自分より先に死ぬであろうことは予測できます。しかし、年少の友だちが死ぬとはどういうことだろう? 予測し得ない「死」ほど劇的なものはありません! 本当に生とは何か、死とは何か感じざるを得ません。言葉では予測できない感覚の世界、それが「銀河鉄道の夜」です。
死から始まる人形たちは、いつも生きることに飢えています。ジョバンニやカンパネルラが問う「ほんとうのしあわせ」は、人形たちの願いとほんとうに一緒です。